Let's rock and roll!!

君の夢を本気で応援する

情熱は自分にすら消せない心の炎である

 

こんにちは。出発が約10日後に迫っています。今の心境と言いますと、ワクワクはしてますが、すでに沸騰した鍋をとろ火であぶってる感覚ですね。つまり恐ろしいほど落ち着いています。しかし、数日前まで不安でやばかったです。その不安の種は1年前まで遡ります。そしてこの心の奥で燃えている情熱もです。

 

1年前のアメリカ留学とパニック障害

 

僕は1年前にもアメリカへ飛び立ちました。その時の期間は一年間の予定でした。しかし、行ってから一ヶ月半が経ったところでパニック障害を発症して訳の分からなかった僕は病院に運ばれ、そのまま入院をしてしまいました。持病だったうつ病も顔を出したせいで状況は最悪で、結局他の精神病患者がいる許可なしに外部と接触が取れない、メッセージアプリ以外のインターネットが繋がらない何とも気味の悪い病棟に放り込まれました。強調しておきますが、これはアメリカで起こったことです。合計でその場所に丸一週間入院しました。

 

まじでやばいところに来てしまった

 

僕と同室になった人はものすごい異臭がするおじいさんで、深夜に突然暴れます。そして僕の方を激しく睨んできます。僕は基本的に共同スペースにいたのですが、そこにいたのは二重人格である時は優しい、しかし悪い時は周りを怒鳴りつける、おそらくそのコミュニティを仕切ってると思い込んでるおばさん。(僕も私の挨拶抜きで飯食うなと怒鳴られた)

あとは、一日中歩き回っているおじさん、あとはやたら喋る幼児退行してしまったおじさんが僕のテラスハウスメンバーでした(笑)

そこに入れられた時に、医者から見たら僕はこのくらい重症なんだと悟りました。事実僕以外の人はみんな精神があっちの世界へ行ってしまっているのでその人たちの行動原理を探りに医者とかが来るくらいでした。

 

まじで自分もあっちの世界へ行きかけた

 

すべてがうまくいっていた留学生活だったのに突然やってきたたった一回のパニックアタックが僕の生活を一変させました。まじであそこ刑務所と変わらないです。おまけにその時付き合っていた彼女にはお見舞いに来る約束を3日連続でドタキャンされた上連絡が取れなくなり、大学の派遣留学なので大学から帰国命令がでてると聞いて 絶望して本当にあっちに行きかけました。なので今頃僕はこうやって今文字を打てているだけで奇跡だなと思います。

 

 

 

僕をこの世界に止めた人たち

 

それでも自分を励ましてくれたのは友達でした。最初に来たのはオリエンテーションから仲のいいインドネシア人の友達とアメリカ人の友達でした。何か欲しいものはあるか?聞かれて、チョコレートと言ったら鞄いっぱいに詰めて持ってきてくれました。その次の日はまた別の仲間が、また次とみんなきてくれました。そして、日本にいる友達も状況を知ってたくさんメッセージをくれました。そして、最終的に僕の心に火がつきました。インターネットをブロックしている病院のネットワークシステムに穴を見つけて色々と自分の病気について調べ始め、大学の友達に連絡を取って自分が何とかアメリカにとどまれるように気が狂ったように、日本語でも英語でもひたすら読んでは話してましたね。

 

結局は帰国することに

 

僕に責任能力がないと判断され、帰国が決定しました。小さい部屋で病院関係者、大学職員の人から告げられました。最初は泣いて抵抗しましたが、ここでまた精神異常者だと思われれば不利になると考え、結局は素直に従いました。友達にごめんってメッセージを送るとお別れ回を開いてくれることになり、12カ国から来た20人の友達と中華料理を食べました。あれほど美味しくて楽しかったディナーはなかったです。こう書いているだけであの時の光景が浮かんできて涙が出そうです。ずっといじめられてきて、大学入った後も引きずっていた自分が今こんなに愛されているって幸せになりました。

 

それでもやっぱりアメリカがいい!!

 

あんな目にあっといて、いろんな人に心配をかけて、結局は一度ついた情熱は消えるはずがありません。帰ったその日から再渡米に向けて動き出しました。奨学金のこと、入学制度のこと、勉強のこと、ずっと調べてましたね。あとは病気とも徹底的に闘いました。心ない批判を受けまくったせいで一時悪化したりして大変だったけど治しました。でも、僕がパニック障害うつ病を持っていたという事実は消せません。だからこそ心配して止めてくれる人もいました。でも、やっぱり僕の自分の夢を叶えるためにアメリカで修行したいという情熱は消えませんでした。そして、誰よりも海外生活の怖さを知って、それを学びに変えて乗り越えた僕だからこそ、誰よりもアメリカに行くべき人間であると勝手に思い込んでます

(決して綺麗な女の子と知り合うためじゃないからね!!)

 

アメリカで入院してよかったと思うこと(ただし保険に入っていた場合)

 

僕は繊細な性格だと自分でわかっているので豪快に、ポジティブに振る舞うことを心がけています。なので今回も入院をポジティブに見て締めたいと思います。

 

 

ミニマリストに近づける

入院したおかげで、太陽の光を浴びられること、シャンプーの量に決まりがないこと、夜に襲われる(暴力的な意味で)心配がないことへの幸せ感をつかめましたね。そして何より、自由であることへの幸せです。行動が外部から制限されるって正直すごくきつかったので退院後は嬉しくてまるで月に行った宇宙飛行士みたいに飛びはねました(笑)

 

2英語が上手くなる

入院中のやり取りは医療用語を交えた英語、必死になって色々調べたりしている間の集中力は凄まじいもので情報とともに英語もスイスイ入ってきて、気付いたら前よりもずっと英語が上手になっていました。周りの人の意味不明の会話に聞き耳を立ててたおかげでリスニングも上がりました。

 

3自分の人生を見つめ直すきっかけに

入院中はやることがなかったので、ひたすら自分のことに集中していました。これからの人生に必要なこと、そうじゃないこと、いろいろ考えていました。あの時に考えていたことが今も活きています。

 

4周りの人への感謝が半端なくなる

ありがちですが、メッセージくれた人や、お見舞いに来てくれた人のことはずっと覚えているし、今もその人たちにお礼しきれてないです。心配かけて申し訳なかったと思うからこそ、こうやって健康でいることに加えて、この経験を誰かに役立てようとカタカタする僕の姿を見せるのが僕の務めです。

(そしたら英語でも書かなきゃいけなくなるのは置いといてね)

 

いかがでしたか?僕は案外あの場所のことを思って、みんなどうしてるかなって思うときがあります。仲良くなった研修医さんはちゃんと就職先見つかったかな、とかね。確かに辛い経験だったし怖い思いもした、今思うだけでもぞっとする光景を見てきた。でもそれを乗り越えた自分がいるからこれからも走っていける。こうやって自信につながっていくわけです。なのでどんな最悪に見える経験でもそこから何かを学び取るか、嘆くかは自分次第です。その時は嘆いていたことも、後から振り返って「俺よく頑張ったな」と未来からエールを送るのでもいいです。無駄なことなんて何一つないのですから。

 

では