一貫性なんて枠組みをぶっ壊せ!
こんにちは、前回の英語の記事が面白かったよってたくさん言ってもらえてルンルンです。あの文章スタイルは、百田尚樹さんの本を読みながら思いつきました。ていうか俗に言うパクリですよね。でも、誰でも最初はパクリだと思うんです。「スポーツの基本を忠実に!」の基本も誰かが考えたパクリでしかない、こう考えるといいもののパクリの先にオリジナルがあると思います。
この上の文章は、「パクリはダメなことだ」という日本の常識に突っ込んでみました。もちろん、そのままのパクリは法に触れてしまう場合があるので避けたほうがベターですが(これももしかしたら思い込み!?)
ある程度、いろんな人の部分部分を拾って自分のパーツにしていきたいと思う今日この頃です。
上の文章、タイトルと一貫性なくない!?って思った人、その日本人ならほぼ誰でも持っている一貫性至上主義センサーが反応していますね。僕は最近ぶっ壊してきました(笑)
このセンサーですが、義務教育の段階から埋め込まれると思うんです。特に中学校。特に顕著なのが、「一度入った部活はやめてはならない」「志望校は変えずに最初から希望していたところに向かって頑張るのが美徳」
なのでこのセンサーを日本で教育を受けたなら持っているのが当たり前で、自由奔放な人に多くの批判が集まる原因ではないのかと思います。
僕も去年ツイッターで匿名で多くの批判をあびました。その一例です。
誰か: 「君には一貫性がなくて何をしたいのか意味不明」といった主に一貫性をキーワードにした批判が多く届きました。
僕の心の声: そもそもなぜ君に理解されなければならないのか。納得したら君は僕に投資してくれるのか?
ちなみにその他の意見→「自信過剰でイタイです」「何で外国人ばかりと付き合うんですか」「韓国語面白いですね」などなど
匿名の人間怖すぎるwww
でも全部僕にとっては褒め言葉でした。
しかし、最近はこの「一貫性至上主義」的な社会や教育を疑うようになりました。なぜ一貫性がなければいけないのか、そもそも一貫性がなくてはならないのか。
そして結論
一貫性いらなくね(´∀`ノノ’`゚チ’`゚チ
そもそも、人間が成長していく過程で一貫性が無くなるのは必然であり必要です。
それでも一貫性を主張するあなたへ聞きます
「あなたは今、日曜日に早起きしてアンパンマンを見ていますか?」
おそらく見ていないでしょう。ここでは子供時代にみんなアンパンマンを見ていたと仮定します。ちなみに僕はイラストを投稿するくらい夢中になってました。アンパンチ!と言いながら幼稚園でいじめっ子を殴って怒られた記憶があります(笑)
でも僕はもうアンパンマンを見ていません。アンパンチも封印しました。他の人も恐らくそうでしょう。なぜ見ないのか。
それは僕たちが成長し、興味が移ったからに他なりません。
つまり、私たちは成長と同時にどんどん興味を移していき、そこから新しい知識を吸収して自分の考えを構築していくんですね。
そして、その作業を常々繰り返している人は、自分の価値観や固定概念をちょくちょくぶっ壊しているので柔軟な思考をすることができます。しかし、これが世間一般で言われる一貫性のなさです。つまり一貫性のなさは、柔軟性です。柔軟性の欠陥は、世界的に見ても圧倒的に日本人が不足している思考だと思います 。
一貫性と軸は混同されがちですが僕の中では分けています。僕にとって一貫性は考え方、軸は自分の生き方です。また、一貫性が他人の評価で生まれるものなのに対し、 軸は自分で組み立てるものだと思います。
僕は自分に一貫性がなくても軸はあると思っています。でもゴムのようにぶよぶよしてます。軸というと硬いイメージですが、柔軟な思考ができるように「僕の軸はゴムでできている」と思っています。なので新しいことを吸収するたびに、既存の価値観をぶっ壊して組み立てなおすというのが僕のスタイルです。これは、一貫性が強すぎるとできません。なので、あえて言うなら、一貫性がないのが僕の一貫性です。
結論
・一貫性こそ人の成長を止めてしまう
・成長のためには自分の価値観をぶっ壊す過程を経験する
・軸は自分で決めるもの。一貫性は他人があなたを決めるもの
お付き合いありがとうございました。